汎神論の神
汎神論とは一言で言うと、神は全てのものに宿り、くまなくいたる所に存在するという考えだ。これに属するのはインドのウパニシャッド思想、古代ギリシアのソクラテス以前の思想、近代ではスピノザ、ゲーテ、シェリングの思想などだ。これらは一見多神論に似ているようにも見えるので、学問的には分類が曖昧になることがある。しかし私は多神論と汎神論は本質的に違うものだと思っている。何故なら複数の神々が存在するのと、神性が宇宙のいたる所に遍在する(偏在ではない)のとでは根本的に異なるからだ。
あえて言えば汎神論は一神論の方に似ていると思う。それは唯一の神がいて、その神が遍在していると考えることができるからだ。ただしこの場合はエホバやアッラーのような固有の名を持つ唯一神とは違う。遍在するという特性からいって、その神は一種の法則のようなものと解釈されるべきだからだ。
「意識」の項の「意識の所在」のところで詳しく述べたが、唯一の神がいて、その神がこの宇宙を創ったという表現は矛盾を含んでいる。少し長いが以下にその文章を引用しよう。
『さて最初の意識体は神で、神が宇宙を創造したと想定してみよう。すると神が宇宙を創造したとしても、神自身が宇宙の外側にいて宇宙を造ることはできなかったはずだ。何故なら宇宙に外側があるなら、そこも宇宙に含めなければ宇宙全体とはならないからだ。したがって神はこの宇宙内で宇宙を創造したことになる。するとここにも矛盾が出てくる。宇宙内、すなわち宇宙の内部にいるということは、神以前にすでに宇宙があったことになるからだ。わかりやすく言うと「私は海の中にいる」といった場合、先に海があってその中に入ったことを意味するからであり、先に私がいて海が後でやってきたわけではないからだ。
このように考えてくると神は宇宙の外にも内にもいなかったことになってしまう。しかし問題解決の道はある。それは神がこの宇宙そのものであると考えることだ。すべては神であり、宇宙のどこをとっても神の一部分であり、したがって我々も神の一部である、と考えればいいのだ。
神は意識をもって自らを展開してきたのがこの宇宙であり、したがってすべての存在は意識的であり、我々も意識的な存在である。これは神とは意識そのものだということを意味している。神は意識であり、その意識体が宇宙として自らを展開し、我々もその一部として意識を持っている。しかも宇宙は神自身なので、その中にあるすべてのものは有機的に結びついている。したがって我々はこの宇宙のすべての存在と細かな網のように結びついており、あらゆるものと感応することが可能であり、あらゆることを知り得る。
これは言い方を換えれば、神は霊であり、我々は神の分霊であり、すべての存在には霊が宿り、しかもこの霊とは意識そのものである、ということになる。』
(※神が意識的存在であることについては「意識」の項の最初に書かれているのでそちらをご覧いただきたい。)
ニューギニアの山岳地帯やアマゾンの奥地に住む少数民族は、長い間欧米人の価値基準によって未開人というレッテルを貼られてきた。彼らの中のシャーマンは動物はもちろん、植物とも話ができる。そうでなければ何百何千種という薬草の効用につて確かめられるはずはないだろう。ヨーロッパではかつて動物などと話をしようものなら、すぐに魔女や魔男として捉えられ、火刑にされた。近年では、あるいは今でも、インテリと呼ばれる人も含めて多くの人がシャーマンは幻想を見、幻聴を聞いているのだと言っている。
我々日本人は原住民と呼ばれる人たちをそれほど軽蔑的に見ないが、それでも理解を示す人は少ないと思う。しかし日本人の心の底には全てのものに神聖な霊が宿るという感覚があるはずだ。今は欧米文化に洗脳されて、そんなことを感じようともしない人も増えているように見えるが、僅か50年前までは、そうしたことを当たり前のように感じていた多くの年配者がいた。それは単に自然物に限らず、櫛には櫛の、茶碗には茶碗の霊が宿ると考え、物を大切に扱っていた。
現在は物が溢れ、多くの人が物に感謝することがなくなり、本来日本人が持っていた物に対する感謝の心は僅か50年で失われてしまったように思う。
汎神論とは神の霊が普遍的に存在し、あらゆるものに宿るとする考えだ。古来より日本人はそうした感覚を持ち、営々と子から孫へと引き継いできた。近年それが完全に失われたかのように思われていたが、ごく最近、そうした感覚を再び持つようになった若者が増えているように思う。これは驚くべき変化だ。もちろんそうではない若者も圧倒的多いが、私は今二極分解が進んでいるのではないかと思っている。本来の日本人の感覚を取り戻そうとする者と、ますます欧米の物質的感覚にのめり込む者とにだ。
私は日本人こそが、この汎神論的感覚を世界へ向けて発信すべきではないかと思っている。世界中が金と物質崇拝に染まり、歪んでしまった現在の世界に、全てのものに神の霊が宿るという感覚をもって訴えられるのは、経済大国と称される国に住む我々日本人しかいないと思う。
欧米を支配してきた一神論や多神論に、私はいろいろな疑問を持つとともに、それが生まれた背景に何か胡散臭さを感じてきた。そして汎神論のある解釈が、うまく宇宙の本質を説明できることに気が付いた。しかしそれを結論する前に、まずは一神論や多神論が何故、どのように生まれたのかを知らなければならないだろう。次にそれらの説明を含めながら、現代の新たな神々の概念について話を進めていこう。