多神教の神
インドのヒンドウ―教、古代エジプトやメソポタミアの神話、古代ギリシア・ローマ神話が多神教の代表的なものだが、これに日本の神道(しんとう)、メソアメリカやアンデスの神話も分類の仕方によっては含むこともある。中国の道教は一般には多神教に分類されるが、私はエジプトやメソポタミア、またギリシア・ローマの神話とも少し性質は違うと思っている。
多神教は主神を中心に様々な性格を持つ多くの神によって構成される。その伝承は歴史上の支配者によって改竄(かいざん)や粉飾が多少行なわれてきたと思われるが、奇妙なのはそれ等の神話がどのように発生したかについては未だに解らないことだ。いわゆる宗教の場合は文化的な背景があって開祖が教えを説くところから始まる。仏教、キリスト教、イスラム教などがこれだ。しかし古代エジプトやメソポタミアの神話、ギリシア・ローマ神話などがどのように発生したのかは全く解っていない。一時深層心理学的な解釈がもてはやされ、多くの文化人や学者が競って深遠な解釈を披露したものだが、結果的にいくつもの解釈が登場しただけで、発生の真相を解き明かすには至らなかった。
多神教では主神が全世界、あるいは宇宙の支配者であり、その下にそれぞれに個性と役割を持つ神々がいる。たとえば酒の神、多産の神、豊饒の神、戦いの神、知恵の神など、神話や宗教によって多少の違いはあるものの、その多くは共通している。多神教は民間信仰的な神々も含めれば、その種類は数えきれないものとなる。
多神教では多くの神々がいるが大抵は孤立した神ではなく、主神の妻神であったり、その夫婦神の子供であったり、孫であったり、兄弟であったりという、人間世界と変わらない関係を持つことが多い。またこれらの神々は時に喜怒哀楽を顕わにし、生死をかけて戦うこともある。これらのことを見ると何故こんなにも人間臭いのかと疑問に思ってしまう。こうしたことから、先ほども言ったように深層心理学的に、神話は人間の感情の原型を表現したものだという説も現れた。
ただし神話の世界には我々の世界にあるような善悪の基準は存在しない。彼らは妬んだり恨んだり時には殺したりするが、決して善悪の判断を持ち込まない。ここに大きな疑問が生まれる。神々があまりに人間的なのにもかかわらず、その世界に善悪の基準がないのはどうしてなのか。そこにはどんな理由があり、どんなからくりがあるのか。後で述べるが、それはある一つの背景を想定することで説明がつく。