太陽系
太陽系の生成に関する物語は、ほぼ非の打ちどころがないものとして学校で教えられている。一般の科学雑誌でもすでに確定した定説であるかのように取り扱っている。したがって多くの人はそれに疑問を持つことなく、ガス雲が次第に寄り集まって太陽ができ、太陽の周りを回っていたガス雲が寄り集まって惑星ができたという物語を信じている。
科学が宗教のようになってしまった現代では、一般の人々は科学がそう言っているのだから、あるいは科学者がそう言っているのだから間違いないという信仰のもとに全てを受け入れている。これは中世のヨーロッパで、神父の言うことに誰も疑問を抱かなかった状況とよく似ている。また日本の戦時中、天皇の直属の統帥機関である大本営の発表を、ほとんどの国民が信じて疑わなかった状況とも非常によく似ている。
太陽系生成のシミュレーションにはいくつもの不確定要素が含まれている。まずビッグ・バン以降宇宙空間を漂っていたガスが何らかの形で偏りができなければならない。これを学者たちはガス雲にゆらぎがあったためと説明している。ではゆらぎとは一体何なのか。これについての詳しい説明はない。またゆらぎの規模についても同様に詳しい説明はない。もしゆらぎが大きな規模で起これば太陽の数十倍、数百倍の質量が一ヶ所に集まることになり、一気に過熱し爆発して太陽にはならない。後にはブラック・ホールが残るだけだ。逆にゆらぎの規模が小さければ質量が少ないため、できた太陽は輝くことができない。どうして我々の太陽系はちょうどよいゆらぎによって、ちょうどよい大きさになれたのだろう。科学者はここでも偶然という魔法を持ち出す。まるでこの魔法は神の意志、神の全能の働きでもあるかのようだ。
それ以降の惑星生成過程は奇妙奇天烈としか言いようがない。まず中心の太陽の核に向かって集まって来たガスは、外縁部の回転速度が速まるにつれ遠心力により中心核に落ち込めなくなり、太陽の赤道面に集まるようになる。この時点で太陽はまだ核融合を始めていないが、重力エネルギーが解放されるため輝き始める。これによって宇宙塵がいったん吹き飛ばされる。やがて太陽系円盤内で、重力により盤面に集められた塵とそれを覆うガスが分離する。そして塵で固まった円盤は自らの重力不安定性によって一気に分裂する。分裂した無数の塊はやがて寄り集まっていくつかの微惑星になる。微惑星は円盤の中で太陽の周りを公転するが、必ずしも円を描くわけではないので、互いに衝突し合体する。この場合ガスがあるので、衝突によって崩壊するのではなく、合体するのだという。このようにして少しでも大きい微惑星が他の微惑星を引き付ける形で合体し、成長して原始惑星になったという。
原始惑星は再び合体を繰り返すのだが、それがまだガスがある間に起こったのか、ガスが完全に消失してから起ったのか解っていない。すなわち星間ガス消失の機構については解っていないのだ。今の惑星形成論にはこのガスがある場合とない場合の二通りがあるが、いずれにしても大きく成長する頃にはガスは消えていたはずである。するとこの頃の合体は途方もなく激しいものとなるはずだと思う。地上の空気があるところでさえ、微惑星が落下したら想像を絶する爆発を惹き起こす。これが空気(ガス)がない宇宙空間で起きたら一体どんなことになるのか。常識的に考えて、巨大な破壊分裂が起こるとしか考えられないのだが。 とはいえ正統主流の学説は合体のほうが勝って地球型惑星はできたと言うのである。
さて実際の惑星形成論にはもっと詳しい条件付けや解説が必要なのだが、一般の読者諸氏にはこのくらいで十分だと思う。
私がまず疑問に思うのは、微惑星同士の衝突の際ガスがあったとしても、希薄であれば衝突を和らげることはできなかったのではないかということである。衝突を和らげるほどのガスとなれば相当濃くなければならず、どうやってそれだけのガスが発生できたのかと疑問に思ってしまう。太陽系円盤が破砕した時も何故そこに留まっていられたのか疑問が残る。さらに微惑星ではなく原始惑星同士の衝突となれば、ガスが濃いくらいでは離散を防げたとは思えないのだが。
さらにもう一つの疑問は、太陽系が形成される以前の、そもそものガスのゆらぎだ。ある学者は銀河系のどこかで超新星爆発が起こり、その衝撃波でゆらぎが生まれ、それによって太陽系のもとの塊ができたと言っている。しかしだとしたらその超新星はどこからの衝撃波によってゆらぎを得、星になれたのか。さらにその衝撃波を生んだ星はどこからの衝撃波によって揺らぎを得...... このような言い訳は何の説明にもならない。
所長の見解
太陽系形成に関しても初めに物語があり、それに見合ったモデル(仮説)が作られ、それに見合った証拠が集められたのだと思われる。微妙な問題だが、謎を解くためにはモデルを作って検証する必要があり、それ自体は正当な手順と言える。しかし問題は一つのモデルを作り上げると、何がなんでもそれを完成させねばならないという執着のようなものが生れ、それに向かって都合のいい証拠やデータだけをを探し、不都合な証拠やデータは顧みようとしない傾向が生まれることなのだ。特に最初にそのモデルが有名になってしまうとこうしたことが起こりやすい。ダーウィンが唱えた、ヒトがサルから進化したというモデルなどはこのてんけいだろう。そうした仮説を学校というところでは堂々と定説であるかのように教えるので、多くの人は幼い段階で洗脳され、余計な疑問を持たずに学説受け入れるようになる。
さて一般の人たちはたかが太陽系形成の話で洗脳などと大袈裟なと思うかもしれない。しかしこれは進化論と同じように、我々はどこから来たのかという重大な問題と密接に結びついているので決して大げさな話ではないはずだ。特に西洋人にとっては、1600年にジョルダーノ・ブルーノが地動説を唱えたために火刑にされた例もあるように、地球という存在の地位・由来は重要なものなのだ。それは特にキリスト教と深く関わる問題だからであり、神が人間のために宇宙を作り地球を作ったかのような記述が聖書にあるからだ。バチカンおよびプロテスタントの教会は、民衆の支配のためにはどうしても地球を宇宙の中心にしておかなければならなかったからなのだ。
実はこの状況は現在も変わっていない。マスメディアの表に決して出てこない陰の支配者たちは、さまざまなメディアおよび宗教を利用して人類の奴隷化を謀るため、人間中心そして地球中心の考えを植え付けて人類を一元化し、統制支配を容易なものにしようと目論んできたと思われる。このような発言は異様に聞こえるかも知れないが、ここ数千年の歴史を素直に見れば必然的に導かれる見解だと思う。もちろん決定的な証拠があるわけではないが、様々な深刻な問題を抱えつつ、先の見えない混迷する状況を目の当たりにすれば、その原因が突然現代になって現れたものではなく、長い歴史の中で作為的に作られてきたものであることに気付くと思う。
現代の地球汚染、地球破壊、資源の枯渇、水の枯渇、食糧不足、種の絶滅などを見れば、人間中心、ひいては地球中心の考えがいかに多くの弊害をもたらしてきたかが分かる。多くの人は気付かないかも知れないが、欧米の歴史を振り返って見ると、彼らは一度も自然と共生するという発想を持たなかったのが分かる。先にも言ったように、彼らにとっては自然は征服すべきものであり、支配すべきものに過ぎないのだ。しつこいようだが、これは西洋医学とも発想を全く同じにしているのであって、彼らにとって病気は征服すべきもの、肉体は支配すべきものなのであり、東洋医学の食餌療法および生薬によるバランスの回復、そして肉体の自然治癒力による病気の克服といった発想とは根本的に異なっている。
彼らは地球は神から無条件に与えられた贈りものと考えており、従ってそれを無制限に使うことに躊躇はない。神は愛すべき最高の生命体として人間を創造したのであり、したがって人間は地球とそこに生きるすべての生き物に君臨して当然なのだ。たとえ地球が太陽の周りをまわっていようと、彼らは地球中心の考えを捨てることはできない。それはバチカンが地動説を公式に認めたのが、何と1992年であることを見ればお分かりいただけると思う。しかもそれは一応公式という形ではあったが、ガリレオの異端裁判が誤りであったことを認めた際の補則という形で発表されたに過ぎないからだ。
さて太陽系生成論は壮大な物語であり、スーパー・コンピュータを使って惑星形成のシミュレーションなども行なっており、一般の人たちが反論を試みるのが非常に難しいように仕組まれている。しかしいくら複雑な計算を用い、難しい論理を展開しても変なものは変なのであり、現代科学が解けないものはあくまでも解けないのであって、我々はそれを冷静に見る必要がある。
最初に言ったように太陽系生成論にはいくつもの問題があり、教科書に書かれているような確定した定説ではない。このため主流に属さない学者や在野の人たちは様々な異論を唱えている。
たとえば金星だが、これは木星から生まれたという説がある。木星の大赤斑は大気の渦だといわれてきた。しかし同じ場所から動いていないことを見れば、台風の目のような大気現象ではないことは明白である。この大赤斑がどのようにできて、いつから存在しているのか現代科学は説明できない。
しかしもし大赤斑の下に火山があって、その噴煙が気流の影響を受けて斑点の形になっているのだとすれば容易に説明がつく。しかもこの大赤斑は地球の二倍から三倍の大きさがあり、もし大噴火を起こせば、地球型(小さくて地殻を持った)惑星を生み出す可能性もあると思われる。
また金星は欧米ではヴィーナスと呼ばれ、長い髪をたなびかせているイメージがあるが、実は古代の様々な記録に、金星が尾をもっていたという記録がある。すなわち彗星のように太陽系の中を彷徨(さまよ)っていたということである。それどころか現在の観測では、肉眼では見えないが実際にガスの尾が確認されている。しかも金星はほかの惑星とは違い、自転の方向が逆なのだ。太陽系を北極側からみた場合、すべての惑星は反時計回りの自転をしているが、金星だけは時計回りの回転をしているのだ。この事実は正統主流の太陽系形成論と矛盾する。なぜなら太陽系円盤の中から生まれた惑星は、力学的にすべて同じ自転の方向を持っていなければならないからだ。
もうひとつ不思議なことがある。それは4000年以上前の古代の記録には全く金星が出てこないことだ。肉眼で見える水星、火星、木星、土星、金星のうち、金星だけが除外され、残りの四つの惑星の記録しか残っていないのだ。当時の人々が金星を見落としていたなどと難癖をつけるのは道理に合わない。なぜなら夜空の星の中で、金星は最も明るい星だからだ。
ところが4000年以内の記録には金星が出てくる。しかも初期のころは金星が見える時期や位置がまちまちで、太陽系内を彷徨っていた様子がうかがえる。そして時代を経るにつれ記述が一致してくる傾向がある。これは金星が最終的に現在の、水星と地球の間の軌道におさまったことを示唆していると考えられる。
このように太陽系形成に関する異論はかなり具体的で、色々な資料を用いて作り上げられている。その中には金星だけでなく、地球、月、火星、土星、天王星、小惑星帯、衛星イオなどがあり、数え上げれば切りがない。ここではこれら全てについて取り扱うことはできないが、触りだけ言うなら月は地球の惑星にしては大きすぎるし、地球自身、土星の衛星だった可能性があり、もしそうなら土星は地球の太陽として輝いていた可能性がある。また他の説によれば地球は金星のように木星から生まれ、太陽系内を彷徨った末、現在の軌道におさまったとも言われている。
天王星は地軸が公転面に対し98度も傾いていて、すなわち横倒しのまま自転していて、その理由は未だ分かっていない。小惑星帯はもともと一個の惑星で、何らかの理由によって壊れた可能性がある。これについて一言いうなら、正統の惑星形成論が言うように小惑星が合体して惑星ができたのなら、なぜ小惑星帯だけが合体せず、小惑星群のままなのか納得できる説明がなされていない。
木星の衛星イオには火山噴火があるらしいことがわかった。これはボイジャー1号やガリレオ探査機が送ってきた写真から明らかになったことだが、肝心の火山活動の原因は分かっていない。学者は木星の強力な潮汐力による歪みによって内部のマグマに活動が起こり、それが火山活動を惹き起こしていると説明しているが、ではなぜ他の衛星で火山活動がないのかが疑問として残る。在野の人の中には、写真に写ったのは火山ではなくて、プラズマによる巨大な宇宙落雷ではないかと言う人もいる。
以上述べてきたように太陽系生成に関する学説はあやふやで確定したものではない。にもかかわらず学校では、たった一つの仮説を現代科学が到達した崇高な真理であるがごとく教えている。もし本当に科学的な態度で教科書を作るつもりなら、すべての学説を併記すべきだが、そうしたことはしていない。これは科学(理科)に限ったことではなく、歴史、社会、国語など、いくつもの科目に共通したことだ。なぜこうした教育手段を用いているのか。なぜこうした単一の考えを押し付けているのか。それは支配者にとっての統制管理をより容易にならしめるためである。我々一般庶民は従順に一つの説を信じ、従順に経済活動を行ない、従順に政府の定めた税金を納め、従順に物質世界の中で物欲に奔走していれば、それが陰の支配者にとって好都合なのである。
我々日本人がかつて持っていた霊的精神や、物質界を超えた世界観などは、こうした陰の支配者の目論見どおりに色褪せ無価値なものとなっている。我々はさまざまな便利な物に囲まれ、好きなものを食べてはいるが、しかしどれだけ幸福を感じているだろうか。いくら物があっても、植えつけられた物欲のためにまだまだ欲しいと思い、いくら金があっても満足することなくもっとほしいと思い、この豊かな社会で死ぬまで不満のまま過ごすことになってしまっている。
人類が一つの終局に向かっている今、我々は陰の支配者の操り人形であることを止め、洗脳を払拭し、押しつけられた物欲から抜け出さなければならない。そして自然との共生を目指し、精神的・霊的自己を取り戻しながら、喜びを分かち合う世界の構築に向けて踏み出さなければならないと思う。