学校という洗脳機構 .1
はじめに
日本の教育は3%~5%のエリートを作り出すよう仕組まれていると言われる。エリートたちは支配者の意向に沿って行動するよう訓練されるが、多くの人に指示を与えることで優越感を味わってゆく。他の者たちは劣等感を植え付けられて余計なことを考えたり、行動に移したりできないように仕向けられる。これが明治以来の国策であり、現実を見る限りこれは見事に成功しているように見える。
教育というのは本来支配者の望むところではない。古代から近代に至るまで、世界のあらゆる地域で支配者は一般大衆を無知文盲の状態に置くことによって、自分たちにに対する批判的判断ができない状態を作り出していた。そして近代から現代にかけ、高度な産業社会を築くには最低限の読み書き計算が必要となり、教育改革という美名のもとに新たな洗脳とコントロールが始まった。
一つ例を挙げれば、現在どれだけの人が月は空洞だということを知っているだろうか。そんな馬鹿なと思うとしたら、すでに十分洗脳されていることになるだろう。起き上がり小法師を考えてみよう。もっと単純にピンポン球でもいい。その内部の一箇所に鉛をくっつけたとしよう。するとピンポン球は必ず鉛の方を下にして止まる。これは地球の中心に向かって重力が働いているからだ。このように地球に対して一定の方向を向くのは、内部に物質の偏りがある証拠である。これを遙か上空の地球周回軌道まで持って行ったとしよう。するとやはり鉛のある部分を地球に向けることになる。これが月である。一方地球の場合は内部に偏りがないので自転ができ、太陽に同じ方向を向け続けることはない。
月はもともと内部に水を蓄えていたと言われる。あるとき別の星が接近し(これは金星という説もあるし、太陽系に3600年ごとにやってくる巨大惑星だという説などがある)、月の地殻に亀裂が入って内部の水や砂が噴き出し、それらが月よりも強い地球の引力に引き寄せられて地球の軌道を回り、やがて地上に降り注ぐことになった。これが歴史上何度か起こったとされる大洪水の一つだ。もしかしたらそれはノアの洪水だったかもしれない。そのとき月の中心核にあった金属も水の後に亀裂から噴き出したが、こちらの方は多少は出たものの、すぐに冷やされて亀裂を塞ぎ、染み出た所が月の海となった。こうして内部が空洞で地殻に偏りができたので、月は地球に対して同じ方向を向けるようになった。
さて、こんな初歩的な事実をなぜ学校で教えないのだろうか。それは教育が支配のための重要な前線基地となるからで、そこには支配者の底知れない計略が潜んでいる。以下にその内容を見ていくことにしよう。
幼稚園・小学校
幼稚園や小学校では主に従順さの訓練が行われている。優しさや思いやりの教育も、親たちは愛の形のように思っているが、これは善悪両面の作用を持っている。一方では人間が共同体としてうまく営まれるためにはこれらは重要な要素であるが、他方では自己主張や独自の考えを抑え込む役割を果たしている。子供たちは優しさや思いやりの一方で、成績の競争を強制されるわけで、この矛盾を幼くして抱え込むことになる。しかしこれに関する指摘や説明は一切与えられない。それは先生や親たちも、すでにそのように教育されてきたからだと言える。
先生たちは校長の、校長は教育委員会の、教育委員会は文部科学省の、文部科学省の官僚は表に出てこない支配者の意向に従わざるを得ない状況にある。教育機関の中で社会的地位を維持しようとすれば、お上の言うことをそのまま受け入れなければならない。したがって頂点に立つ者を除いて全ての者が従順な態度・精神を強いられることになる。
中学校・高校
ここでは具体的な洗脳が行なわれている。その筆頭は歴史だ。まずは歴史というものがどのように成立するものなのかを見ていくことにしよう。
中世ヨーロッパでは神が宇宙を造り、全ての動植物を造り、最後に人間を造った、という歴史を強要されてきた。これの意図するところは、人間を生物の頂点に置くことによって人々の自尊心をくすぐり、一方で神の被造物であるから神に従わねばならないと教えることにあった。当然神の代理人である神父にも教会にも逆らってはいけない、ということである。これは全て、時の支配者に都合の良い民衆を育てるための策略だったとと言える。こうしたことは、ほぼ全ての時代、全ての地域において行われてきたことで、現在もまったく変わっていない。
これらは見方を変えれば、歴史は時代の反映であるということを意味する。日本では第二次世界大戦中、神話が支配のために利用され、神国日本は神がついているのだから負けるわけがないと教えられた。大東亜共栄圏などという支配者の野望にも、国民の99%以上が信じて協力した。
現在も状況は変わらない。日本の国民の大多数が、民主主義は人間が考え出した最高にして最良のシステムであり、人類の宝であると教えられ、これを信じて疑わない。だがおよそ200 近くある世界の国々で、民主主義がまともに機能している国は一つもないのが現状だ。もともと民主主義の理念は悪いものではない。しかしその中で活動する人間が自分自身や身内や親しい者のために動き出すと、その崇高な理念は失われてしまう。また自分の置かれた立場の権利の増大に走り、目先の金銭の取得に邁進することによって、民主主義の機能は簡単に損なわれてしまう。
多くの人はアメリカこそは民主主義の手本であるがごとく思っているが、実はアメリカほど無辜の民を殺し、人権を踏みにじり、戦争を仕掛け、他の国に干渉し、その支配者を殺した国はない。ほんの少しだけ例を挙げてみよう。
まずは人身売買だ。これはアフリカ人を奴隷として買い、働かせたことを指している。なーんだ、奴隷制度のことか、と思うだろうか。改めて考えてみれば、こんな非人道的なことはないだろう。こうしたことをを平気でやってきたヨーロッパ諸国やアメリカが、すまし顔で民主主義の手本だと言わんばかりに振舞っているのはとても奇妙な感じがする。この制度があったため、今も差別は続いている。ハリウッドの映画に黒人の主人公が出てくるのを見て、アメリカもかなり平等な社会になったなどと思うのはとんでもない勘違いだ。あれは日本で言う雇用均等法みたいなものによって、白人が仕方なく起用しているだけのことなのだ。多くの企業では、例えば10%の黒人を雇わなければならないとすると、ほとんどは自社ビルの掃除や配送など、最下層の仕事をさせているのが現状だ。
アメリカは1823年に不干渉宣言(モンロー宣言)を行ない、建て前は他国に干渉しないポーズを取りながら、中南米から始まって様々な国に干渉してきた。不干渉宣言自体も、当時は干渉されたくない自国の事情があったからに過ぎない。最近でもベトナム戦争、イラク戦争、パキスタン、アフガニスタンと、アメリカの干渉はとどまることを知らない。
アメリカは国家元首の殺害も行なっている。チリでは世界で初めて選挙による革命が実現(社会主義アジェンデ政権が樹立)したが、1973年アメリカの策謀により、軍部のクーデターによって倒された。この時アジェンデはCIAのスナイパー(狙撃手)によって殺されたというのがもっぱらの噂だ。イラクのフセイン大統領もアメリカの手で殺された。キューバのカストロはしたたかに16度の暗殺計画から逃れているが、これは非常に珍しいと言える。
多くの国の民主主義の実態とはこのようなもので、これが美化されているのは支配者がうまく情報を操っているからなのだ。学校で教える歴史についても同じようなことが言える。現在の歴史学は実証主義に基いていると言われるが、それは建前としては理想的で客観性を保持しているように見える。しかし古代史だけでなく、中世以降の歴史も、現代の民主主義というメガネを通して見た歴史であり、いわば現代のものの考え方の反映に過ぎない。これは言い方を変えれば、支配者が人民支配のために作り上げた都合のいい物語ということになるだろう。